マーク・マンダースの不在展に行ってきたのでレビューと考察をします。
マーク・マンダースはオランダ出身の現代美術家で、「建物としての自画像」という構想を背景に作品を制作している。
断片的なものの組み合わせや、崩壊したような、作りかけのようにも見える彫刻作品は、何か物語があるようにも感じられるし、発生する意味をバラバラにしたり、ズラしたりして、宙吊りにしているようでもある。
Information
会場 | 東京都現代美術館 企画展示室 3F |
会期 | 2021年3月20日(土・祝)- 6月 |
開館時間 | 10:00-18:00(展示室入場は閉館の30分前まで) |
休館日 | 月曜日( |
観覧料 | 一般 1,500円 / 大学生・専門学校生・65歳以上 1,000円 / 中高生 600円 / 小学生以下無料 6/1~6/22は完全予約制(日にち指定) |
美術館へのアクセス | 東京メトロ半蔵門線「清澄白河駅」B2番出口より徒歩9分 都営地下鉄大江戸線「清澄白河駅」A3番出口より徒歩13分 東京メトロ東西線「木場駅」3番出口より徒歩15分、または都営バスで「東京都現代美術館前」下車 都営地下鉄新宿線「菊川駅」A4番出口より徒歩15分、または都営バスで「東京都現代美術館前」下車 〒135-0022 東京都江東区三好4丁目1−1 |
所要時間:約2時間
写真撮影:一部撮影可能
作品数:33タイトル
作品数は33タイトルとなり、1つのタイトルに複数の作品があるものもあります。また、コロナのため、完全予約制で事前にチケットをWEBで購入するかたちとなっています。(時間は好きな時間にいけます。)
また、7月17日~10月17日の期間で特別展示「マーク・マンダース:保管と展示」として継続されるそうです。これは緊急事態宣言によるマンダース展の会期短縮を受けて急遽企画されたもので、作品返却までの間、「マーク・マンダースの不在」展とは異なる構成で展示されることになっています。
ルール
「」…本書からの引用
『』…本書内での引用
<>…本書内での「」など
マーク・マンダースの不在
1986年、18歳のときに、自伝的な要素を含む小説執筆の試みを契機に得たと言う「建物としての自画像」という構想に沿って、以降30年以上にわたって一貫した制作を続けています。その構想とは、自身が架空の芸術家として名付けた、「マーク・マンダース」という人物の自画像を「建物」の枠組みを用いて構築するというもの。その建物の部屋に置くための彫刻やオブジェを次々と生み出しインスタレーションとして展開することで、作品の配置全体によって人の像を構築するという、きわめて大きな、そしてユニークな枠組みをもつ世界を展開しています。この虚構的な枠組みをベースとして類のないビジョンを示す独創的な作品世界は、彫刻の概念を掘り下げる個々の作品の質とあいまって、世界的に高い評価を受けてきました。本展は、作家本人の構想により、展示の全体を一つの作品=想像の建物のインスタレ―ションとして構成するものです。
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mark-manders/
個々の作品は、過去の美術史や私的な記憶に基づくイメージ、彫像や言葉、家具など様々なオブジェの組み合わせからなり、見る者に複雑な感情や時間感覚、思索と内省の機会を与えます。これらは独立した作品として十分に魅力的ですが、この大きな枠組においてみれば、また新たな表情で私たちを捉えるでしょう。作品はすべてこの架空の建物の一部をなすものとして現れ、作家であるマンダース本人と架空の芸術家マンダースの自画像とが混交しながら消失・生起し、見る者を虚実の空間へと誘います。一方、個々の作品には互換性があり、それぞれは単語のように部屋や構成に従って置き換わることが可能と言います。それによって、この想像の建物全体は、いわば一つの自動的な装置のように不断に改変され、更新されていくことになるのです。タイトルにある「不在(Absence)」は、インスタレーションに見られる時間が凍結したような感覚や静寂、既に立ち去った人の痕跡、作家本人と架空の芸術家との間で明滅する主体など、マンダース作品全体の鍵語として複数の意味を担うものですが、それはまたこの建物が作家の不在においても作品として自律的に存在し続けるものの謂いでもあるでしょう。マンダースの世界は、その中に入る私たちを魅了しつつ、芸術の意味について、想像力や人の生の経験と時間について、あらためて考えることを促すのです。
建物としての自画像
マーク・マンダースの作品の背景には<建物としての自画像>という構想がある。それはどのようなものか?そのヒントを得るために本展の図録に収録されている文章から引用しながら、考察を行う。
重要と思われるのは、《調査のため居住(建物としての自画像より最初の間取り図)》という作品である。この作品は1986年にそのころ所有していた筆記用具を床に配置してつくられている。
「この間取り図に私は精神の自画像、何もかも言葉のかたちで生じる自画像を投影したかった。」
「ひとりの人間として、自分はその前にどう立つか、地面の上のものと比べて、私はどれほど背が高いか、光線の変化がボールペンをなんと劇的に変身させることか、消しゴムのそばに目を近づけるにはどうすればよいか、またそうすると私の頭の中で何が起こるか。こうして目を近づけてみると、息をのむような映画的効果が生まれた。私はそこにあるものの上を動き回れて、そうすると、物は色、言葉、かたち、そしてなんとも形容しがたい物としての一体感によって、私の考えを規定した。言葉で自画像を描くのは適当でないという結論に達した。世界自体が、そこに埋め込まれた言葉の世界よりもはるかに複雑なのだった。言葉ではなく物で本を書き、架空の建物としての現実の中に埋め込むことにした」
「物の鑑賞者––というより読者––は、自分自身の新たな考えを組み立て、その結果、作者と鑑賞者の間につりさがる自画像ができあがる。」
《調査のため居住(建物としての自画像より最初の間取り図)》の作品ノートより
「建物は架空のものだが、中にあるすべては実際に存在する。建物は時間の中に凍りついた舞台装置のようで、」
「百科事典のように、建物は変化し、膨れたり縮んだりしながらも、常に待ちかまえている。」
「私個人の歴史や気持ちを記録に残そうというのではない。関心の的はそこにはない。それよりも自画像を組み立て、それに独自の意志と生命を授けようという考えに近い。もうひとつの関心は物がどのようにして人に考えをもたらすかにある。」
《靴の動きによるドローイング(建物としての自画像より連続する2枚の間取り図、2002年5月21日)》の作品ノートより
・言葉ではなく物で自画像を描くこと(世界を構築すること)。
・構築するための場所は架空の建物が設定されている。
・構築された世界は見る人によって異なる現れ方をし、それぞれ現れたものが、その人にとっての自画像となる。=精神の自画像=人の心の領域の探求
・架空の建物を百科事典に例えているところから、現実の建物のように物理法則の制限が大きいものではなく、言葉のように自由に編纂したりできる性質を持ち、かつ、言葉のように線的ではない、3次元の枠組みが必要で「架空の建物」という概念装置があるのかと思われる。
不在について
次に展覧会のタイトルにもある「不在」というキーワードを考察したい。
彫刻は作者がさっきまでつくっていた作品を中断してどこかへ行ってしまったような未完成の状態を感じさせる。人の不在と同時に人の気配も感じられる、住人の所有物が残っている廃墟と同じような雰囲気をまとっている。また、顔の一部や体の一部が欠けたり、抉れている像も不在を表している。
また、本展の図録に収録されている文章から引用してみよう。
「自身の不在は、テーブルの下で確かめられる。人生は、自分抜きでも滞りなく捗ると気づけば、強く心を打たれる。そこから、人格には限りのあることが明らかになる。」
メモ書き マーク・マンダース
「私個人の歴史や気持ちを記録に残そうというのではない。関心の的はそこにはない。」
《靴の動きによるドローイング(建物としての自画像より連続する2枚の間取り図、2002年5月21日)》の作品ノートより
「彫刻が出来上がるまでの物語は、作品の持つ力とは結局のところ無関係なのである。作品はすでに組み立てられたこの世界の既成の事実となり、イメージとして機能する。個々の鑑賞者により、作品の持つ意味は異なるに違いない。」
《夜の庭の光景》の作品ノートより
また、会期前日の記者会見でマーク・マンダースは次のようなことを話していたようだ。
「アーティストとして作品を制作する時間がとても好きで、とくにフィニッシュする前の未完成な状態に惹かれる。そこには不在が、何かが欠けていると感じさせる部分があり、未完成であることで新たな何かが起こりそうな予感をはらんでいる。私が不在や未完成を大事にするのは、そうした予感を感じたいからなんだ」
https://www.pen-online.jp/news/art/markmanders2021mot/1
・マンダースの不在=主体中心の論理から距離を取る。
・未完成の状態、欠如の状態
・不在から新しい何か、イメージが生まれる予感
凍結について
次に「凍結」というキーワードを考察したい。
作品の中断されたままのイメージの固定や、粘土の質感を保ちながら実際には色彩されたブロンズを素材にしていることから、作品、時間の凍結も重要なキーワードかと思われる。
同様に、本展の図録、ハンドアウトに収録されている文章から引用してみよう。
「静的なイメージは時間の中で生じる私たちの感覚、思考と詩的に関係している。私たちの誰もが、こうしたイメージは時の経過と共に進化してきたと知りながら、それらのすべてが巨大で同時的、静的な現在にしっかり固定されることを望む。」
メモ書き マーク・マンダース
「アーティストの私はタイム・トラベラーであり、できるだけ多くの思考を集めて凍らせ、大きな今にしたい。」
《執拗な不在を提供するために作られ、放置された部屋》の作品ノートより
「彫刻は特に時間と興味深い関係にある。私にとって、彫刻は実在する最も美しい言葉である。彫刻が凍結した瞬間を表現し、それがほかの空間にコピー=ペーストでき、精神的にも知的にも人にとって身近であるのは、実に素晴らしい。」
《似通った出来事》の作品ノートより
「建物としての自画像は時間がすべて凍結しています。私の作品、私にとってすべての作品は同じ瞬間に存在します。」
「物は最も強い瞬間をとらえることができるものだと思う。
感染症、戦争、季節…と、移り行く世界の中で物はそのままの状態であり続けます。
私が芸術を本当に愛する理由はそこにあると思っています。
200年前と今とで作品の見方は違ったとしても、その作品自体は変わっていません。
物が同じに留まっているということは、とても美しい。
これは人間が作った魔法のようなもので、人類がこのようなものを作ったり考えたりできるのは極めて重要なことです。
物を作ることで時間を共有することができるし、共通点を見出すことができます。
エジプトやギリシアの彫刻には、様式化されたような、凍結した時間があります。
動きを止めるというようなローマの彫刻とは異なる時間が。」
マーク・マンダースの不在展 ハンドアウトより
・建物としての自画像では時間・思考は凍結している。
・異なる時間の多くの思考やイメージを今に凍結する。
・彫刻、物は最も強い瞬間を凍結し、時代を超えて表現することできるメディアである。
まとめ
「マンダースの制作の目的とは、彼自身語るように、『事物がその裸の状態を現すための空っぽの場所をつくる』ことであり、存在の本質が顕現する『凍った瞬間』を『3次元の写真として残すこと』である。その一方で彼は、一般的な社会や文化の言語では表すことのできない思考のプロセスを『芸術の言葉で表すこと』を目指し、個人としての彼の意図を離れた『自画像』を、オブジェをつかって描こうとする。」
「マンダースの彫刻制作は、フーコーの文化の考古学のように、ヨーロッパ文化における主体中心の論理から逸脱し、支配的な基準に従うことなく断片を組み合わせることの自由を主張する。見慣れた事物を変形させたり、様々な時代の彫刻の記憶を同時に呼び起こすことで彼は、事物から文化的言語の影響を払いのけ、美術史的分類を相対化する。そして、事物が身体を通して精神に与える影響の観察という権威に頼らない具体的な方法で事物と彼自身の個別性を見出そうとする。」
進化する自画像、変化のための場所:マーク・マンダースの彫刻言語 松井みどり より
・単語を線的に並べて論理的に意味が構築される言葉に対して、3次元的に自由に配置できる物を使う。
・実在の建物ではなく、架空の建物や架空の芸術家マンダース
・現実世界に働く強制力のようなもの(主体中心の論理、文化的言語、美術史的分類、線的な論理、物理的枠組み、時間、など)からなるべく距離をとっているように思われる。その中で物が持つ物質性が豊かに語り出し、自画像を構築する。つまり、物が語りやすいようにし、物それ自体が身体を通して精神に与える影響の観察を行っている。
・現実世界に働く強制力から距離を取る方法として、架空の建物という枠組み、時間の凍結や跳躍、断片の組み合わせ、不在を作品に取り込んでいる。
感想
異なる時間の多くの思考やイメージを組み合わせるという手法は一見ポストモダン的なものを感じる。しかし、ポストモダンは構造主義から逃れるためにイメージをコラージュしているのに対し、マーク・マンダースの彫刻は物それ自体が語りやすくするために様々な構造をぼかしているように思われる。そこから発生する強い瞬間を維持し、それぞれの身体を通して、個々の新しいイメージの出現や跳躍が生まれるところにマーク・マンダースの彫刻の力強さがある。また、作者のイメージや既存のイメージの埋め込みではなく、新しいイメージへと開かれていることに自由さと可能性を感じた。
次回の「マーク・マンダース:保管と展示」展と本展で自分の中に生まれるイメージを比べられることを楽しみにしたいと思います。
※展覧会の写真は後ほど追加したいと思います。