窓展関連イベントの「柱間装置の文化誌」短編映画上映会_早稲田大学 中谷礼仁研究室 に行ってきたので感想を書いていきます。展覧会の方の「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」のレビューはこちらから
窓展:窓をめぐるアートと建築の旅 @東京国立近代美術館 レビュー
Information
◆2019年12月7日(土)14:00-15:30
東京国立近代美術館 HP
早稲田大学 中谷礼仁研究室「柱間装置の文化誌」短編映画上映会
日本伝統の窓の概念、柱間装置。開放から閉鎖、昼から夜、古代から未来など、様々に変化していく建築の姿を撮り下ろしの短編映画2作品を通して考察します。
上映作品:
『Transition of Kikugetsutei』(16分11秒、日本語、英語字幕付、2015年、日本)
『柱都』(10分36秒、日本語、英語字幕付、2019年、日本)
登壇者:
稲垣晴夏(映像作家/offaa)
瀬尾憲司(映像作家/offaa代表)
中谷礼仁(建築史家/早稲田大学教授)
モデレーター:五十嵐太郎(東北大学教授/建築史・建築批評家/「窓学」総合監修/同展学術協力)
上映作品は窓研究所の「柱間装置の文化誌」と題するリサーチプロジェクトで、早稲田大学の中谷礼仁研究室によってリサーチされ、短編映画という形でアウトプットされたもののうちの2作品です。全部で4作品あり、窓研究所のHPで3作品は観ることができます。おそらく今後、残りの一つも観ることができるようになるかと思う。
また、短編映画のほかに、リサーチ内容がテキストと図版によってまとめられている。
柱間装置とは
柱間装置とは何か、「柱間装置の文化誌」のテキストから引用してみると、
『柱間装置とは柱と柱の間に取り付けられる建築の部位すべてのことをさす文化財用語である。具体的には、壁、障子や襖など各種建具などがあげられる。木造軸組の建築においては建具に限らず床に敷かれた板や畳、そして天井も基本的には同様の装置的思考で構成されており、日本建築はその柱間装置の多様性によって、空間的豊かさが生み出されてきた。』
柱間装置の文化誌 より
ちなみに、柱間装置という言葉は戦後になって出てくる言葉らしい。
窓展では日本の窓を扱う作品はほとんどなく、木造軸組に焦点をあてた作品はみられなかったが、窓学ではそのようなリサーチもされており、関連イベントの中で紹介されている。
また、引用文にもあるように柱間装置には窓以外にも壁や天井なども含まれており、窓に限らない。窓は柱間装置の一つの変化の形態であり、この可変性が日本の木造軸組システムが持っている柔軟性である。
しかし、現代の窓がアルミサッシに統一されている状況は日本の木造軸組が持つ可能性のほんの一部をひたすら繰り返しているように感じる。
建築映画と日本の窓
イベント中のトークでは、日本の窓のリサーチのアウトプットに映像が効果的であるという話題で、日本の窓は動きがあること、動かした時の音などでモノの質感や重さなどが感じられること、夜の雰囲気が感じられることなどが挙げられており、特に人が建物に触っている風景を映像で見せることで建物の魅力が引き出されるという話が興味深かった。建築は建築と人とのインターフェースのデザインとも言えるため、映像はその魅力の一つを最もよく見ることができるメディアとなる。
そして、建物をメンテナンスしたり、掃除するシーンは建物を触り、音を出すため、建築映画では重要な役割を果たす。
「Transition of Kikugetsutei」
「Transition of Kikugetsutei」では掬月亭という建築が対象となっている。
『掬月亭は、香川県高松市内にある近世初期の大名庭園「栗林公園」の園内にある御茶屋である。どこから見ても正面として見ることのできる四方正面造りの掬月亭は喫茶・響宴の場であった。一般に公開された現在も御抹茶や御菓子がふるまわれ、建物内部から開放的な庭園の景色を楽しむことができる。具体的な建立年は不詳であるが、掬月亭は、大名庭園が最も栄えた時期とされる近世初期の庭園の建築であり、庭園内の遊興の建築として巧を凝らしている。』
窓研究所 「柱間装置の文化誌」窓の短編映画Transition of Kikugetsutei 栗林公園・掬月亭
以下「Transition of Kikugetsutei」での『』は同様のリンク先から引用
また、『大名庭園の建築は、饗宴・休養のための建築としていかに快適な空間をつくるかが重要視される。そのような建築では、壁よりも「開ける・閉める・取り外す」ことができる、いわば可変性に富む柱間装置の効果的な使い方が大切であった。』
とあり、全面を建具で構成する秩序は庭園全体を見渡したり、外との関係を調整するために大きな効果を発揮する。
逆に言えば、大名庭園の建築という年中住むための機能を持っていないからこそ、このような開け放ちができるのではないかと感じたのだが、断熱の方法など、住むために必要な境界の調整を考えれば、現代の建築に読み換えることができそうである。
さらに、障子を保護するための板戸というものがあり、
『中世までは柱間に三本溝を設け、外から板戸・板戸・障子とはめ込んでいた。この場合、板戸を開けても、柱間の半分はもう一方の板戸によって視界が遮られてしまう。近世初頭になると、柱間の框に設けられていた戸溝が、一筋の敷鴨居として柱より外側に設けられ、そこに雨戸がはめられるようになる。そして柱間内のみの可動域の制限がなくなった雨戸は一つの溝を滑って戸袋にまとめられるようになる。』
この板戸の納め方が工夫されれおり、この建築の特徴をつくっている。
『雨戸は「雨戸廻」と呼ばれる装置によって、建築の隅で方向転換することができるようになっている。雨戸を開ける際、雨戸は専用の一本溝に沿って滑っていく。隅に行きつくと溝の外側がちょうど雨戸の幅の半分ほどなくなっており、雨戸を溝から半分ほど飛び出させた状態にすると、雨戸は溝から自由になる。そこで雨戸を別の面へと回転させることができるのである。この際に、雨戸が庭や池に落ちないように内側へ押さえ込みつつ、その回転運動を補助する役割を担っているのが「雨戸廻」であった。雨戸廻を支点に雨戸は90度回転され、次の溝に進入していく。これらを重ねていくことで、建築の四方すべてに現れかねない戸袋を一つに集約し、池や庭に面する部分から雨戸を排除し、開放的な視界を確保することができるようになったのである。』
この「雨戸廻」によって獲得される、開放的な視線や、建築の変化の幅を大きくすること、また雨戸を閉じる際のリズムなどが映像を通じて紹介されていた。
また、日本建築は夜の宴でその本質がわかるという話をされており、映画内には掬月亭の貴重な夜のシーンもある。
人がいない建築には、日中の人間に使われている姿とは違ったより空間や物質性が浮き上がる魅力があるように思う。廃墟の魅力に通じるなにかという予感がある。
「柱都」
こちらは柱間で間口が決められ、都市が作られているという大阪の町家を舞台にしている。掬月亭が近世とすると、この作品は近代の柱間装置をリサーチ対象にしている。
この柱間装置の大きな特徴は「建具替え」と呼ばれているもので、大阪のお金持の家は蔵があり、建具を2種類持っており夏と冬などの季節に応じて建具を入れ替えるそうだ。
調べると京都などでも建具替えが行われているようだ。
そして、この映像でも建具の入れ替えという窓の動きを捉えている。
掬月亭は視界への影響を効果的に考えた建具の変化だったが、この建物では季節ごとの風、湿度、温度の調整を効果的に考えた建具の変化である。つまり、先ほど述べた「住むために必要な境界の調整」をメインにしているということである。
ぜひ、窓学のHPにこのあたりの調整の仕方などを研究した論文の方ものせていただきたい。
まとめ
柱間装置という考え方にはまだまだ可能性がありそうである。
そこには現代建築で失われてしまった日本建築の魅力がたくさんあることに改めて気付かされた。しかし、過去の日本建築をそのまま現代に再現するのではなく、現代の問題や個々人の問題とうまくハイブリッドさせながら、未来の建築をいきたいと思った。